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シュリー・クリシュナマーチャーリヤの生涯とヨーガ


T.K.デシカチャーとの会見

ティルマライ・クリシュナマーチャーリヤは、南インドのマイソールのある村に、1888年11月18日生まれました。彼は、ヨーガ・ラハシャの作者であり、ヴァイシュナヴァ(ヴィシュヌ派)グルの系統の最初の教師である、9世紀の南インドの高名な聖者ナタムニの子孫として誕生しました。
クリシュナマーチャーリヤは、マイソールでもっとも有名で崇められていたバラモン学校の一つ、ブラフマタントラ・パラカラ・ムットの生徒になる前に、彼の父親からサンスクリット語とヨーガの最初の指導を受けました。12歳の時、彼はマイソールのロイヤル・カレッジに通いながら、ヴェーダ聖典とヴェーダの儀式を学びました。18歳のとき、彼はベナレスに行き、大学でサンスクリット語、論理学、文法を学びました。それからマイソールに戻り、パラカラ・ムットの指導者、シュリー・クリシュナ・ブラフマタントラ・スワミからヴェーダーンタ哲学の基礎を学びました。それから彼は、インドの最も古い哲学体系であり、ヨーガの基礎であるサームキヤ哲学を学ぶために、再びインド北部に行きました。1916年に、ヒマラヤのカイラーサ山の麓に行き、チベットのマナサロヴァル湖に近い場所に住む家族と生活していた、熟達したヨーギ、シュリー・ラーマモーハン・ブラフマチャーリーという、彼の教師と出会いました。
クリシュナマーチャーリヤは、この教師と7年以上を過ごし、その訓練が彼の人生の方向性に深い影響を与え、ヨーガのメッセージを広げる大きな義務と、治療師として病気の人々を助けることを担いました。その結果としてシュリー・クリシュナマーチャーリヤは、学術的仕事には従事せずに、彼がインドの伝統医療体系であるアーユル・ヴェーダを学び、正当な知識による識別の方法である論理的認識のヴェーダの学派、ニヤーヤ哲学を学んだ南インドに戻りました。1924年に彼はマイソールに戻り、そこで進歩的統治者であるラージャ(地方の国王)により、ヨーガ学校を開く機会を与えられました。そのラージャ自身が、クリシュナマーチャーリヤの最も熱心な生徒の一人だったのでした。1933年から1955年まで、クリシュナマーチャーリヤはその学校でヨーガを教え、そして彼の最初の著書ヨーガ・マカランダム(ヨーガの秘密)を書きました。

この時期、彼の名声は南インドと海外にも広がりました。1937年に、クリシュナマーチャーリヤの最初の西洋人の生徒が、ヨーガを学びにやってきました。彼らの一人がインドラ・デーヴィ(アメリカ人)です。クリシュナマーチャーリヤの義兄弟となったB.K.S.アイアンガー(クリシュナマーチャーリヤの妻の弟)は、彼の最初の指導を受けました。1939年と1940年には、熟達したヨーギが心臓の鼓動を停止する実証を求めて、フランスの医学グループがクリシュナマーチャーリヤを訪れました。この厄介な実演の驚嘆すべき実験は、クリシュナマーチャーリヤにとって、懐疑的な科学世界の目にヨーガを実証する責任感を担わせました。
それからまもなく、クリシュナマーチャーリヤの興味と活動は、アーユルヴェーダとヨーガを治療方法として使用する、病気の治療に向かいました。彼はますます有名になり、1952年に心臓発作で苦しんでいた大衆政治家によって、マドラス(チェンナイ)に召喚されました。そして最終的に、クリシュナマーチャーリヤは家族と共にマドラスに定住することになったのでした。


彼のインドの弟子たちと同様に、より多くの西洋人たちが彼の教えを学びにマドラスにやって来ました。彼の教えをヨーロッパに伝えたジェラード・ブリッツは、アドヴァイタ(不二一元論)の教師ジーン・クレインと同様、クリシュナマーチャーリヤを探し出した最初の一人でした。1976年に、クリシュナマーチャーリヤの息子T.K.V.デシカチャーとクリシュナマーチャーリヤの最も親密な弟子の一人とで、クリシュナマーチャーリヤ・ヨーガ・マンデラムを創設しました。この施設は、ヨーガを病気の人々のために使用することと、インド人と外国人 デシカチャー
両方の生徒たちにヨーガを教えるための施設です。シュリー・クリシュナマーチャーリヤは、1989年に彼が亡くなる6週間前まで、彼を慕う生徒たちを教え鼓舞し続けました。


質問 シュリー・クリシュナマーチャーリヤの息子であり弟子であったあなたは(T.K.V.デシカチャー)、彼と最も親密な人々の一人であり、彼を最もよく知る人々の一人であったに違いありません。サンスクリット語の学者、治療師、ヨーギとしてのクリシュナマーチャーリヤについて、何か教えていただけますか?


回答 私の父がサンスクリット語の学者になった一番の理由は、彼の家系によるものです。古い時代、私の父の祖先のような人々は、王様にとっても、相談役として広く知られていました。現在では、私の祖父を例えば首相のような人と呼べるでしょうが、その当時の首相の地位は、私たちが現在考えるような政治的なそれではありませんでした。彼はむしろ、統治者たちに何が正しく、何が間違いかを告げる助言者でした。この目的のために、これらの学者たちは、全てサンスクリット語で記された古い聖典を自然に学びました。ですからその当時、私の父がサンスクリット語に精通するようになった環境に育つことは、極めて正常なことでした。それはちょうど現在、科学技術の専門用語が英語であるように、これらの身分の人々の言語だったのです。
彼は正式の教育として、ヴェーダの学派(*六派哲学)に記述されている古典を十分に読み学べるように、サンスクリット語を学ばねばなりませんでした。ヨーガはそれらの学派の一つでしたが、私の父は家系が歴史的にヨーガに関連していたため、ヨーガに特別興味を持ちました。彼の祖先の一人は、高名なヨーギ、ナタムニでした。彼のヨーガへの興味は、まるで彼の家系の歴史を正しく繋ぐ糸のようであり、私の父は素朴にヨーガを学びました。彼の最初の教師は、彼の父親でした。
彼が北インドの偉大な導師たちからヨーガを学んだとき、彼のヨーガへの興味はさらに深まり、ヒマラヤのマナサロヴァル湖の地域に、彼の特別な師、ラーマモーハン・ブラフマチャーリーを見出しました。クリシュナマーチャーリヤは、彼の師の下に約8年間留まりました。ラーマモーハン・ブラフマチャーリーは、彼にヨーガ・スートラを教示し、ヨーガの技法で病人をどのように助けるかを教えました。私の父の活動の豊かな独自性は、この師に由来します。
このような家系に育った人が、偉大なサンスクリット語の学者になり、ヴェーダに示された文学や宗教に精通することは普通です。しかし彼の師は、「あなたはヨーガのメッセージを広げねばなりません」と彼に告げたため、クリシュナマーチャーリヤはヨーガ教師になることを決意しました。彼はサンスクリット語、論理学、ヴェーダーンタその他の学問の多くの職場の提供を拒否しました。彼は、自身が学んできた全てに没頭し、最終的に導師グルとなりました。それは簡単なことではありませんでした ── 実際彼には内的葛藤がありましたが ── 彼はそうしたのでした。
他の重要な事柄は、彼の宗教への興味、特に彼自身のヴァイシュナヴァ(*ヴィシュヌ派)の伝統を通じて、クリシュナマーチャーリヤは南インドの何人かの偉大なヨーギたちの教えに出会いました。これらの人々はアールヴァールと呼ばれ、それは「私たちを統治するためにやって来た人」を意味します。アールヴァールは他の人々の心を指導し、神の化身と見なされています。彼らの偉大さは生まれながらに授けられ、彼らの多くはバラモンの家系ではなく、しばしば素朴な農民の家系に由来します。彼らは非凡な人々としてこの世界に誕生しました。シュリー・クリシュナマーチャーリヤは、私たちの言語であるタミール語で記述されたこれらの導師たちの教えを学び、南インドで理解されているヨーガの意味を発見しました。これが、いかにして彼がヒマラヤで師から学んだインド北部の偉大な教えと、私たちのタミールの導師たちである、アールヴァールに由来する南インドの偉大な教えを結合できたかの理由です。


質問 その当時、この道(*ヨーガ)を歩むためには、ヒマラヤに行ってそこで導師と生活しなければならないことが要求されたのですか?


回答 いいえ、それはクリシュナマーチャーリヤの個人的な決断でした。彼はヴェーダのダルシャナ(*六派哲学)について ── インド思想の様々な体系 ── 全てを学びたいと決意しました。なぜなら彼のいくつかの見解を、彼の導師たちは認めなかったのです。彼がマイソールでサームキヤとミーマームサーの講義を行ったとき、彼はインドの最高の大学に行き、インド思想の様々な学派について全てを学ぶことを誓いました。その当時、それらを学ぶ最良の場所はカシ、現在はヴァラナシまたはバナラスと呼ばれる場所であり、彼はそこに行きました。彼がそこに行く機会を得たことは幸運でした、なぜならそこの教師たちは彼の特別な才能を認めたのです。クリシュナマーチャーリヤが、ガンガナタ・ジャという名の教師に出会い、北部の偉大なヨーガの導師の下に行くよう勧められたのはバナラスでした。これが、なぜ彼がチベットに行ったかの理由です。それは要求ではなく、ほとんど偶然だったのです。


質問 治療師としてのクリシュナマーチャーリヤは?


回答 多くの人々にとって、ヨーガは純粋に霊的訓練ですが、私の父にとって、ヨーガは他の事柄も同様に含んでいたことは明瞭です。彼について記された伝記の一つに、いかに彼が生徒としても、病人に関与したかを述べています。私の父は、かつて糖尿病で病んでいたイギリス司令官に招かれたことを、私に語りました。私の父は彼を助けることができ、そのあと北部のカイラーサ山で彼の修行を継続するためそこを去りました。
その治療の能力は、彼自身の経歴に由来しています。たぶん、糖尿病やその他の病気をどのように治癒するかの助言を、彼に最初に与えた人は彼の父親だったことでしょう。というのは、ナタムニのヨーガ・ラハシャ(*聖典)の中に、ヨーガを病気の人々の治療として使うことが数多く述べられているからです。病気は霊的覚醒の道における障害です。ですから、それに関する何かを行わねばなりません。ヨーガを通じて病気を治癒する多くの方法があります。あるときはマントラが必要とされ、あるときは食事の変更が、あるときは特定のアーサナが、あるときはプラーナーヤーマが必要とされます。たぶんクリシュナマーチャーリヤは、彼の若い時期にそのことの全てを聞いていて、それをもっと学びたいと思ったのです。もし彼が治療についてもっと学ぶためには、アーユルヴェーダについて学ばなければならなかったことは、彼にとって明白でした。そこで彼は、ベンガル地方のクリシュナ・クマールという名の高名な教師の下に行きました。そしてアーユルヴェーダを学ぶために教師の家に滞在しました。最終的に、ヨーガを健康促進のためにどのように使用するかについてのナタムニの教えと同様、私の父はアーユルヴェーダの全ての知識に精通しました。これが、人の健康状態についての情報検査に、いかに脈動(*手首の脈診)が重要かを、彼が知った理由です。彼はこの主題に言及する古い医学聖典からと同様、何人かの熟達者たちからも学びました。クリシュナマーチャーリヤはいつも、彼のもとを訪れるあらゆる人の脈を検診ました。彼が私に教えた最初の教えの一つは、どのように人の脈を検診するかでした。脈診を通じた検診と、アーユルヴェーダとナタムニのヨーガの健康体系の適応が、クリシュナマーチャーリヤが用いた肉体的、心理的、霊的健康の手段でした。ですから、彼がしばしば実際に奇跡的な治癒を実現したことは、驚くべきことではなかったのです。


質問 何がクリシュナマーチャーリヤのヨーガを、大変に独特なものとしたのでしょうか?


回答 私の父のヨーガの教えの独特さは、彼がそれぞれの個人とそれぞれ個人の独自性に適応した教えを強調したことです。もし私たちが各個人を個別的に尊重するならば、それは私たち各個人がいつも現在の状態から出発することを意味します。その出発地点は、決して教師の必要性ではなく、生徒の必要性なのです。それは多くの異なった方法を必要とします。全ての人にただ一つの方法ではありません。今日ヨーガの教えは、あらゆる人々の問題に一つの解決法があり、あらゆる病気に一つの治療法があると云う印象を、しばしば与えています。しかしヨーガは根本的に心に影響し、そして各個人の心は異なります。実に、各個人の文化や背景もまた異なっています。あらゆる実情において、私の父は何が必要で有用かを選択しました。ある場合はアーサナの実践でしたし、ある場合は祈りでした、ある場合には彼はある種のヨーガ実践さえも停止するよう生徒に告げました。それによりその治癒が生じました。私は多くの逸話を語ることができますが、それらの全ては各個人独自のヨーガの実践の必要性を示しています。これは、私が個人レッスンだけをしなければならないことを意味してはおりませんが、私は各生徒が彼ら自身のヨーガの道を発見できるよう、私のクラスの環境を創造しなければなりません。私の生徒たちのそれぞれが、今日は昨日とは同じ個人ではないことに、私は気づかなければなりません。彼らが先週やって来たときに質問した多分同様な質問が、今日は全く(*その内容やレベルが)異なるのです。これが私の父が伝えた、最も重要なメッセージであり、それは現在多くの場所で教えられているものとは、本質的に正反対な教えです。
私の父の教えの精髄とは、各個人がヨーガに適応しなければならないのではなく、むしろヨーガの実践が各個人に適応されなければならないという教えです。私はさらに、このことが今日他のほとんどの教師たちと父の教えの異なる見解である、と言いたいのです。なぜなら、他の場合は全てが十分に体系化され、あなたはその方法に適応しなければならないのですから。クリシュナマーチャーリヤのヨーガには、何の体系もなく、個人が自分自身の方法を発見しなければならないのです。
このことは、ヨーガの道の進歩とは、異なる人々にとって異なる事柄であることを意味します。私たちはその進歩を、故意に準備されたある目的により妨害するべきではありません。ヨーガは各個人に役立ちますが、それは情報を与えることよりもむしろ、(*その個人の)変容を引き起こすことを通じて(*その結果)役立つのです。それらは非常に異なる二つの事柄です。たとえば、この本が様々な主題についての情報を提供しますが、(*各個人の)変容をもたらすためには、私は各個人に異なった方法で各主題を説明することでしょう。私の父は、私が他のあらゆる場所で発見したよりも、各個人がヨーガを実践するより多くの方法を、私たちに教えました。誰が誰に教えるべきなのか? いつ? 何を? これらは実践の初めに問われる重要な質問です。しかしこれら全ての事柄の根本が、全ての質問の中の最も重要な質問です。呼吸の力はどのように役立つことができるのか? これはかなり特殊な見解です。他のどこにも、呼吸にそれほど重要性を与えた見解はなく、私たちのヨーガ実践は、呼吸がいわば妙薬であることを証明しました。


質問 呼吸と同様、あなたはあなたの父親のように、多くの音やマントラを使用しています。マントラはインドの伝統に属しています。西洋においても、クリシュナマーチャーリヤのヨーガのこの側面に関わることができますか?


回答 あなたはマントラという言葉を正しく理解しなければなりません。それはヒンドゥー教の象徴ではなく、むしろよりもっと普遍的な事柄です。それは、人間の心をより高度な領域へと運ぶことができる音です。音は多くの力を持っています。声はとてつもない影響を及ぼします。雄弁家がただ語るだけで、どれほど観衆を魅了するかを想像してください。私たちインドの伝統は、音のこれらの性質の利用を考え出しました。私たちはサンスクリット語を使用しますが、あなたの言語もまた音によって構成されています。私たちがマントラを使用する理由は、それらの宗教的な伝統の美徳によるものですが、それらは多くの人々にとって、ある重要性を持っています。しかし私は、決して無識別にマントラを使用しないでしょう。私たちはいつも、その個人の伝統内で実践できます。何が普遍的に真実かどうかは、私たちにその音が強力な影響を与えることができるかどうかです。私たちの実践は、このことを何度も実証しました。


質問 あなたのヨーガの知的な実践の構成の概念 ── ヴィニヤーサ・クラマについて、語っていただけますか?


回答 最初に私が尋ねなければなりません。あなたは「知的に」という言葉で、何を意味していらっしゃいますか? あなたは多分、倒立(*シルシアーサナ)の実践が頭部により多くの血液を運ぶ論拠に親しんでいることでしょう。ある人が頭部への血液の供給が十分ではないと感じ、それから倒立が彼らのためには最良のアーサナであるという結論がやって来ます。しかし最初に私たちは、このことを熟考するべきです。私たちが立ち、直立して歩いているという理由で、私たちの誰もが単純に頭部の血液が不足し病んでいるでしょうか? ある人がその考えに特別に取りつかれて、彼は毎日倒立を実践し始めます、できれば朝最初に、たぶん最初の、またはたった一つのアーサナとして。私たちと共に実践してきた様々な人々が教えた体験は、そのように実践した人々は最終的に首の多くの問題で悩み、その領域の多大な緊張と硬さが生じて、首の全筋肉組織の血流が減少し ── 彼らが実現したいと望んだ正反対の結果になりました。
ヨーガ実践の知的なアプローチとは、あなたがその実践を始める前に、あなたが実践したいと望むアーサナの様々な側面について明晰であり、あなたが望まない結果を減らし、または消滅させる方法を、どのように準備するかについて知っていることを意味します。たとえば倒立に関して、その質問とは、私の首はこの実践の準備ができているだろうか? このアーサナで、私は呼吸がうまくできるだろうか? 私の背中は、両脚の全体重を持ち上げるのに、十分な強さだろうか? あなたの実践の知的なアプローチとは、あなたが実践を望む事柄に含まれる全て、それがアーサナであれ、プラーナーヤーマであれ、それに適した準備と調整を行うことについて知ることを意味します。もしあなたが空に行きたいと望むなら、ジャンプするだけでは十分ではありません。知的なアプローチを行うとは、あなたの目的地に向かって一歩一歩着実に実践することを意味します。もしあなたが海外旅行を望むならば、あなたが必要な最初の事柄はパスポートです。それから、あなたが行きたい国々のヴィザの取得が必要、などなどです。あなたがそこに行きたいと望むことだけが、その旅行を可能にはしないということは、単純な事実です。全ての学びは、この原型の後に従うのです。


質問 クリシュナマーチャーリヤは、ヨーガの実践の中のアーサナの意味をどのように理解していたのでしょうか?


回答 私の父は、決してヨーガを単なる肉体の訓練とは考えませんでした。ヨーガはさらに至高へと到達するためのものであり、彼にとってそれは神でした。ですからクリシュナマーチャーリヤにとって、ヨーガは神と一体になるために、神へと導く階段を上ることを意味しました。この道は、それに従う人々に多くのことを要求します。強い意志、信頼、努力を継続する能力など。病気はその道において、全く随伴者ではありません、なぜなら注意を散乱させるのですから。神への帰依の代わりに、私たちは肉体の苦痛だけを考えるのです。肉体に関するヨーガの段階は、周辺の他の道ではなく、その道全てを歩むことが可能となる段階であるべきです。それは肉体をあらゆる活動の中心にすることではなく、全てを拒むことでもありません。ヨーガはある人にとっては、アーサナの実践を通じて再び健康を回復することを意味します。他のある人にとっては、死の準備を助けることを意味します ── もちろんアーサナの実践を通じてではなく、むしろ罪悪感や非難の感情のない、平和な心の状態へとたどり着く道の発見によってです。たぶんこの場合は、私はその人に祈ることを教えるでしょう。子供にとって、たくさんの肉体的運動は興味深く意味深いことでしょうが ── なぜ私が80歳の人に倒立や蓮華座で坐ることを教えなければならないのでしょうか?
ヨーガは元来、実践者が以前よりもより賢く、物事をより理解できるための実践です。もしアーサナがそれを助けるならば、素晴らしいことです! もしできないなら、その代りに他の手段を見出せます。その目的地は、私の父の言葉によれば、不断のバクティ、神と呼ばれる、至高の知性へのアプローチです。


質問 クリシュナマーチャーリヤが指導していたとき、彼の説明はいつも古い聖典と密接に連結していました。彼の説明は、必ず古代の賢者たちの記述の一つから、その状況に適した引用をしないことはありませんでした。彼の教えの中核は一つの聖典だったのでしょうか?


回答 私の父に関する限り、最も重要なヨーガ聖典は、いつもパタンジャリのヨーガ・スートラでした。その他の聖典も確かに有用ですが、彼の心がヨーガ・スートラに関係していたことは疑いありません。彼にとって重要な他の聖典は、ナタムニのヨーガ・ラハシャです。その聖典には、実践的手順のヒントが記されています。その本は、ヨーガを各個人にどのように適応させるかの問いに多く関与しています。たとえば、アーサナにおける呼吸について、多くの詳細な情報が記されています。ヨーガ・ラハシャは、ヨーガ・スートラにはない豊富な情報が含まれています。さらに、ナタムニの聖典はバクティ、神への帰依を大いに強調します。バガヴァッド・ギーターもまた偉大なヨーガ聖典です。それは至高の力ヘの道は、私たちが生活の義務の実行を否定または拒否すべきではない思想を強調しています。このことが、バガヴァッド・ギーターを無類のものとしています。それは、私たちの探求は生活からかけ離れるべきではないと告げています。誰にとってもヴェーダは重要ですが、バガヴァッド・ギーターは意義深い聖典です。それはウパニシャッドの多くの事柄に関連し、驚くほど理解しやすく、呼吸技法や栄養学などの重要なヒントを含んでいます。それらに関しての詳細は、バガヴァッド・ギーターのほうがヨーガ・スートラよりもっと明解でもっと正確です。ハタ・ヨーガ・プラディーピカーのような聖典は、多くの優れた情報を含みますが、しかし本質的聖典はなおパタンジャリのヨーガ・スートラなのです。ヨーガ・スートラの理解は、生涯にわたる仕事です。あなたがそれを読むたびごとに、あなたはより以上の何かを理解し、異なる事柄を理解するでしょう。私は父と共に、8回それを学びました、そして私は父が彼の生涯を通じてそれを学んでいたと考えています。毎回、彼が私と共にヨーガ・スートラを学ぶとき、彼はそれに関してある新しいことを語りました。この聖典の彼の最後の解説は、1984 – 1986年に著作され、彼が以前には決して表現しなかった思想が含まれていました。1961年に、私は彼と共にナービチャクラに関する節(*3章29節)を学びましたが、後期の彼の解説の中に、人間の身体についてのいかにより多くの情報が、同じ節で語られたことでしょう! ヨーガ・スートラは、身体についてであれ、呼吸であれ、あるいは心であれ、あらゆるレベルにおける啓発の聖典なのです。
さらに、ナタムニのヨーガ・ラハシャは、バクティの主題のより詳細な教えを含み強調していますが、ヨーガ・スートラは、クリシュナマーチャーリヤにとっては根本聖典だったのです。


質問 シュリー・クリシュナマーチャーリヤは家住者で6人の子供がいました。彼の家族との生活について少し語っていただけますか?


回答 私の父は大変に家族を気遣う人でした。彼は私たち全員がヨーガを実践し、彼が知っている全てを私たちが知ることを望みました。それと同時に、彼は私たちの必要に答える機会を知っていました。私が8歳のとき、彼が私たちを映画に連れて行ったことを憶えています。でも子供である私たちは、母親とより親密でした。彼女は、私たちが何かが必要なときには、いつも一緒に行ってくれる人でした。


質問 あなたの家族で、ヨーガはどんな位置を占めていたのですか?


回答 私たちがヨーガが好きでもそうでなくても、私たち全員はヨーガを実践しました。私の母や3人の姉妹たちを含む全員が、アーサナを実践しました。私の母は私の妹を妊娠しているときも、アーサナ、プラーナーヤーマ、そして瞑想を実践していたことを私は憶えています。私はほんのわずかしか興味がなかったとことを、告白しなければなりません。私の父が傍にいてさえも、私はアーサナを実践するふりをしていました。私の兄は熟達者です。


質問 あなたの父の時代の傾向に反し、彼は女性のために多くのヨーガの促進活動をされ、そしてあなたの母親はヨーガを規則的に実践されていましたね。


回答 はい。彼女がどのようにしてあれほど多くを学んだのか、私は知りません。彼女は、私の父が家庭で教えた事柄を習得しなければなりませんでした。私は、父が実際に母に教えているところを全く見たことがありませんでしたが、彼女は私たちの実践の全てを正すことができました。彼女は、それほど教育があったわけではなかったのですが、あらゆる聖典をそらで憶えていました。彼女の妹もまたヨーガに熟達していました。彼女は、私の父の講演旅行にしばしば参加しました。そして私の姉妹たちは、父のクラスを手伝いました。私の一番下の妹は、現在ヨーガを教えています。私のアシュラムの女性の教師たちは、私の母を含めて父の初期の生徒たちです。アメリカで有名なヨーガ教師インドラ・デーヴィは、1937年に父からヨーガを学びました。


質問 あなたの父親が、サンニャーシン(*出家者)の生活よりむしろ家族生活(*家住者)を選んだことは、興味深いことです。彼はサンニャーシンについて、どのように考えていたのでしょうか?


回答 サンニャーシンであることは、あなた自身を完全に高度な力、神に捧げることを意味します。私は父がその偉大な実例であったと考えています。彼が行った行為の行為者が、彼自身ではないと彼が感じていたことには、どんな疑いもありませんでした。彼は自身を無力であると考え、彼を通じた働きはいつも彼の師または神の力だったのでした。彼が述べたこと行ったこの全ては、彼の師または神に由来すると、いつも断言しました。彼はどんなことでも発見したとは決して主張せず、いつも「何も私のものではない。全ては私の師や神からやって来る。」と言いました。私にとって、それがサンニャーサ(*出家)です。あなたはサンニャーシンであることは不可能ですが、同時にあなたが自分自身の何かを発見したとは言えます。サンニャーシンであることは、あなたが行うことの全てを、あなたの師や神の御足に捧げることを意味します。私の父はこのことの実例でした。彼に会った人々は、彼が師のサンダル(*師の御足を象徴する)を取り、自分は自身の師よりもより小さい存在だと述べながら、そのサンダルを頭の上に乗せるのをしばしば見かけました。私の父は、サンニャーシンと同等に卓越した人だったと考えています。同時に彼はまた家住者でもありました。彼は、家族との生活とサンニャーシンの真の精神の生活との間に、決してどんな矛盾も経験しませんでした。
オレンジ色の衣を着て、決して一か所には留まらず、食を乞いながら放浪するサンニャーシンは、私の父の意見では、私たちの時代にはもはや適してはおりません。私たち(*インド)の偉大な学者たちの一人であるマヌは、カリユガ(*鉄の時代。暗い邪悪な時代。)の現代において、サンニャーサは不可能となった、と述べました。私の父の師も、彼が家住者の生活を送らなければならないと告げ、ナタムニも、家住者の生活は人間存在の最も重要な部分であると述べました。それは単に子供を持つことを意味するのではなく、他の人々が行うように、義務と責任を持った生活を意味します。ウパニシャッドでさえ、公式的な言葉でサンニャーサを主張してはいません。バガヴァッド・ギーターは、サンニャーサに大きな価値を置いてはおりません。その中でアルジュナは、自身の生活に関わるべきであり、自身の職務から逃避すべきではないことを理解します。たぶん、世間で行うべき仕事の全てを完成させた人々にとって、サンニャーサの道は適していることでしょうが、多くの人々にとってはそうではありません。サンニャーサという言葉で伝統的に理解されてきたその道は、現在もはや可能ではありません。


質問 あなたは父親の下で25年以上学ばれましたね。あなたはあなたの父親のどのような生徒だったのでしょうか?


回答 まず、私が彼の下で25年学んだということは、正確な表現ではありません。というのは、それがまるで私が毎日大学で学んだ大学生のような印象を与えるからです。そうではなく、私は大人になってから25年間彼と共に生活し、その期間に私は彼から学ぶことも出来たのです。ですから、私が父から学ぶということは、まるで外国に行って、ゆっくりとその国の人々の言語、風習、気質に親しむようなものでした。それが、私が彼からどのように学んだのかでした。彼は、ウパニシャッドのような重要な聖典を、どのように理解するかを私に教えました。私はそれらの聖典を、どのように朗誦しどのように解釈するかを学びました。彼は私に、何を学ぶべきかを告げ、何を教えるべきかを決意させました。たとえば、私がヨーローッパ・ヨーガ協会から招待を受け迷っていたとき、彼は言いました、「スイスのヨーガ会議に行きなさい!」と、そして私は行ったのでした。彼は私に、クリシュナムルティ(*1895~1986)のところに行き、教えなさいと言い、私はそうしました、そして父はどのように教えるべきかを告げました。
彼との生活、彼と共にあること、彼を見ること、彼と食事をすること、その他もろもろは、私の人生の最も重要な局面でした。私はまた彼から学び、私が現在あなたにヨーガ・スートラからあれこれを解説できるのも、そのおかげです。しかし私の解説には、彼の言葉自体よりも、彼と一緒にした体験や、彼と共に過ごした人生がたくさん含まれています。それら全ては私にとって、大きな贈り物だったのでした。私たちが共に過ごした時間の中で、全てが起こりました。彼の治療、彼の教え、私たちの家族生活、全ての中で。それが、彼から学んだ私の「学習」の本質部分でした。


質問 彼の指導はどんなでしたか? 彼はどのようにあなたを教え、あなたは何を学びましたか?


回答 私はアーサナを学びましたが、私はそのためにたった6か月くらいしか必要ではありませんでした。私は25歳で、とても柔軟でした。彼はしばしば私を講演に連れて行き、私は彼が解説するアーサナの詳細を、そこの観客に実演しなければなりませんでした。彼は私にどのように実行するべきかを告げ、私は彼が言ったように行いました。
私はアーサナが難しいとは思いませんでした、そして私自身のアーサナ実践が、彼の指導の重要な部分を占めてもおりませんでした。より多くの時間が、聖典の学習、脈診の診断の研修、病人たちの治療、ヨーガ指導の重要な原理の学習に費やされました。私は最初に教えなければならず、その後で父に質問しました。たとえば、私は妊娠中の女性にどのようにヨーガを教えればよいか知りませんでした、そこで私は彼に質問し、彼は私に助言を与えました。彼は私の生徒たちを親密に観察し、私が行う生徒たちへの指導を緻密に観察しました。彼が亡くなる年、1989年でさえ、私は彼に助言を乞うことを決して躊躇せず、彼はいつも私にその解答を与えました。
私が初めて彼から学び始めたころ、彼はときどき言いました。「あなたが今教えていることは間違っている。」と。彼は私の生徒たちの前でそのように言ったのでしたが、私はどんな恥も感じませんでした。それとは反対に、誤りがそのように回避できることが幸せでした。私の生徒たちは、その実践に少しも困惑することはありませんでした。それはむしろ、父から助言を受ける幸運と思われたのでした。生徒たちの幸福がいつも私たちの指導の中心であり、私は父に助言を乞うことを生徒たちに語る事に何の問題もありませんでした、なぜなら私自身が十分には知らなかったのですから。そして私の父はいつも大変親切で、私に何を行ったのかを告げました。このような指導には、教師の親切が必要とされ、生徒には謙遜と謙虚さが要求されます。私は彼と共に生活し、彼の仕事を観察し体験でき、彼が病気のときには世話をし、彼の食事を用意し、儀式を行い ── これら全てが、私が彼から学んだ真のヨーガ指導だったと言えます。
もちろん、聖典の学習もまた行いました。それはアーサナ技法の学習よりも遙かに多くの時間を費やしました。なぜならあなたが一度アーサナ技法を理解したならば、それ以上何も言うことはないのですから。聖典はあなたの実践の内容を提供し、あなたの実践の意味を明瞭にします。確かな聖典の学習は必修でした、そしてここでもまた、教師と生徒の間の関係性は質問を超越していました。最初に私は、彼が選んだ聖典を暗唱しなければなりませんでした。それらの聖典は、ある特定の方法で朗誦されます。そこには特定の規則があり、あなたがそれらを学ぶとき、聞くことと繰り返すことのある駆け引きがあります。あなたがそれらを暗唱した後でのみ、それらは解説され、その解説は、教師の思う各生徒に適した時期に与えられます。このような指導は、あなたが自分の師と共に生活するときにのみ可能です。古代においてこの方法は、実に教師が古典を伝達する唯一の方法だったのです。


質問 現在は、あなたが師(*父親)とそれほど親密に接近したように、生活することは簡単ではありません。私たちはどうしたらよいのでしょうか?


回答 私は、私の父が自身の道を歩まねばならなかった苦闘と、私がヨーガを学んだ快適さの間の大きな違いを理解しています。彼は自身の家を去り、地元の人々や文化から遙かに離れた、北のチベットに行き、そこに8年間住みました。私は指導を受けるために、ほんの少しの階段を上ればよかったのでした。私たちは同じ家に住みました。最初私は、私の時間を仕事と学習に分割させました。私はそのようにすることで、何かをし損じたのでしたが、私の父はそう望みました。
私は、現在において私たちは、師と共に生活する必要はないと考えます。私たちはむしろ自身の環境内で働かなければならず、それから時折私たちの探究点を発見するために、師と会うのです。探究点を持つことは絶対必要です。私たちは、自身の前に鏡を置くことのできる誰かが必要です。そうでないと、私たちは大変即座に、自身が完ぺきであり、全てを知っていると想像し始めます。この個人的連結は、本やヴィデオで置き換えはできません。そこには関係性が、真の関係性がなければなりません、それは信頼を基盤とした関係性です。


質問 1976年に、クリシュナマーチャーリヤ・ヨーガ・マンディラムがマドラスに設立されました。そこではどのようなことが行われているのでしょうか?


回答 私たちは、基本的に三つの事柄を行っています。第一番目に、私たちに援助を求める人なら誰でも利用できます。それらの人々の中で、問題を抱える人々や病気の人々が私たちの下にやって来ます。これは私の父の伝統に従っています。彼の教師としての生活を通じて、彼はあらゆる種類の病気で苦しむ人々から、何度も助言や援助を求められました。病気に焦点を合わせた活動が、これほどマンディラムの活動の大きな部分になることは、意図しておりませんでした。しかし現在、私たちはタミール州の健康局により、一つの施設として認可されています。
二番目に、私たちは望む人には誰にでも指導を提供しています。もしある人がヨーガについて知りたいならば、その人はここに来て学ぶことができます。指導とは、アーサナの指導だけを意味してはおりません。このマンディラムでのヨーガ指導は、インドの霊的、文化的遺産の全体について学ぶことが含まれています。私たちはヴェーダ聖典の朗誦のクラスや、ウパニシャッド、ヨーガ・スートラ、ヨーガ・ラハシャのような重要な古代聖典のクラスも提供しています。
第三番目の領域での、私たちの活動は研究と学習の企画です。何よりも私たちは、どのようにして様々なヨーガの側面をもっと厳密に研究できるのかを、問い始めました。私たちはどうにかしてこの活動が可能となるために、また他の体系と比較するために行っています。たとえば私たちは、背中の痛みの治療や、精神障害者たちの訓練の研究を行いました。他の企画は、どのように私の父の教えを世間に紹介するかの活動です。
私たちはまた、私の父の教えの刊行も行っています。刊行の計画としては、たとえばヨーガ・スートラの解説やナタムニのヨーガ・ラハシャの新版です。そして今年、私たちはダルシャナムという名前の年4回の季刊誌を発刊し始めています。その目的は、インドでもっとヨーガがより良く知られるため、インドの伝統的医薬や、他の様々なインドの伝統や文化の側面が、社会の注目を引くためです。私たちはこれを、私たちの師、クリシュナマーチャーリヤへの尊敬と感謝の表現として行っています。






LinkIconシュリー・クリシュナマーチャーリヤの生涯とヨーガ.pdf